ひとつずつちゃんとするということ

   宮崎夏字系さんの漫画が好きだ。特に「夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない」の第1話が最高。

「好きなものは世の中にひとつでいい 失くしたらおしまい そんな感じの」

この文章がたまらなく好きで、たまに思い出して反芻している。変な絵だしサブカルだし超絶ヴィレヴァンだけどやっぱり宮崎夏次系さんの漫画がとにかくグッとくる。「好きなものは世の中にひとつでいい」とは、ずいぶん思い切った宣言だなと思う。たった「ひとつ」に全ての熱量を注ぐその意気込みに憧れてしまう。そんな生き方が出来たらどれほどいいだろう。たった「ひとつ」でわたしの世界を作れたら。コントロールがあまりに容易。「あちらを立てればこちらが立たず」とは無縁というわけだ。でもそんなの不可能なんだよ知ってるんだよね。ひとつでいいわけがない。だって「失くしたらおしまい」だよ。「おしまい」なのにそれでも生き続けなくちゃならない。明日はどんどんやって来るのに「おしまい」だけが淡々と続いてたまるか。ひとつでいいなんて格好つけるから本当になくしてしまったとき立ち上がれなくなるんだ。替えの効かないものほど魅力的であるし、魅力的であるほどリスクが高いというのはわかる、だけど、まあいい無粋なのでやめておく。

   それから神聖かまってちゃんの「夕暮れメモライザ」がすごく好き。

「無くしたら少し寂しいかなって思ってた そして僕は無くした」から始まる不甲斐なさが最高に寂しくて好き。「無くしたら少し寂しいかな」って思うものはもうきっとものすごく大切なものだよ。でも無くしたことに気づいてしまったときに悲しむのいちいち面倒だし心労キツイから、初めから大切なものなんて無い方がいいんだ、みたいな気持ちに、こう、行き過ぎた感傷が一周回って冷たさになってしまうことがある。自己防衛本能で感性を殺してしまう。悲しくないわけじゃない。むしろ、いや。そんなこともうどうでもいいんだけど。

   ところでYUKIは最高だよ。あんな風に全ての感情にひとつずつ丁寧に向き合ってる人に憧れてしまう。喜怒哀楽にひとつずつ向き合って、心労を顧みずひとつひとつ体力を使って経験にしていく人はかっこいいと思う。

   どこで間違ったんだろうなあ。いつめんどくさがっちゃったんだろう。いや違う。ひとつずつ向き合うには時間がかかり過ぎて引きずりすぎるから、それを防ぎたくて感性を殺したんだった。時間が有限であることをあまりに知り過ぎてるからこそ、1秒も無駄にしたくなくて悲しみに使う時間を殺したんだった。そうだった。それにしたって、悲しみへの感性だけが綺麗に死ぬわけがなかった。色んな感性がひとつずつ少しずつ死んでいって、何も悲しまない代わりに喜びや感動へのエネルギー容量も減っていってしまったような気がする。悲しみたくないから期待しない。期待しないから絶望しない。プライドがないから傷つかない。楽はしたいけど楽しみたいってのがそもそもの間違いだった。ひとつずつ向き合うべきなんだろう。喜びがある代わりに悲しみもある、みたいな感性のほうが何もないよりずっとマシだ。生きてるって感じで。

   面倒だと思うことは大抵やってよかったと思えるし、疲れると思ったことは大抵楽しかったと思える。明日からまたがんばる。どうにかして、ちゃんとする。